経歴

神奈川県生まれ。現役看護師の傍らヒーリングサロン&健康コンサルタントを経営。
出張と遠隔でも施術を行なっています。

施術回数は1,100回以上。看護の医学知識とエネルギー療法でお客様の心身症状にアプローチしています。

…紆余曲折した人生を送っていました。

長くなるのでお時間のある方はお読みくださいませ(^-^;

幼少期

物心ついたときから就学前までは、空気中にものすごい数の微粒子のような白い光のようなものが絶え間なく降り注いでいるのが見えていた。次第に見えなくなったが、現在ではエネルギーヒーリングをするようになり、また見えるようになった。人間の身体へ出入りしている様子がはっきり見え、多分これが生命エネルギーなのだと自分では感じている。

幼少期の記憶から辿ると、母親から受ける言動は、常に自分の人間性を否定され、3つ上の兄とは大きな差別的な扱いがあり、反発心もありながら母を慕い続けている気持ちでいつも心が不安定な状況だった。今思うと心身にも影響を及ぼしていた。5歳で内臓疾患で数ヶ月入院生活。

親なのになぜ…?と母親に疑問を抱くことが多かった。度重なる母親からの仕打ちに理解ができず混乱した。現代でいう『毒親』という存在であることを、父親が亡くなる40歳代になるまで気付かなかったために苦悩し続けた。

18歳~20代

高校卒業後は大手自動車会社でOL勤務。母親の影響で自己肯定感が低かったが、会社ではこんな自分を認めてくれていることが嬉しく、身を犠牲にして働いていた。バブル時代で繁忙の日々、度重なる残業から体調を壊し、20歳の時にも内臓疾患で1ヶ月入院生活を送る。

さらに数か月の療養を経て回復したが氣力減退してしまいやむなく退職。無理はできなかったのでアルバイトを経て、ようやく見つけた職業は、植物好きなことから自身で資格を持って仕事にしたいと当時のやりたいことに挑戦し、生花店へ転職。

30代

生花店勤務で充実していたが、当時結婚を申し込まれた相手に、こんな自分でも好きになってくれるならと自分の意思ではない選択肢で結婚。

結婚当初から結婚相手による軟禁、DV等、思いもよらない結婚生活のストレスからか、全身に蕁麻疹が吹き出し止まらなくなった。毎日抗アレルギー薬を飲まないと全身に蕁麻疹が吹き出すという辛い状態を6ヶ月以上過ごしていた。
その頃は一生涯、薬で蕁麻疹をおさえなければいけないのかと不安と悲しみで落胆していた。また結婚相手からのDV等で体調を崩し入院生活を送ったり、7針縫う怪我を負ったこともあった。

そんなある日レイキヒーリングができるところを紹介され、半信半疑でヒーリングを受けると、その日から薬を飲まずに蕁麻疹が治まった。

手を当てるだけのヒーリングというものに期待していなかったこともあり、夢かと思う程感動したのがレイキとの出会いだった。

その後、結婚5年目にして子供を授かるが、妊娠初期でも暴力暴言が続き、お腹の子を守るために妊娠4か月で別居から離婚。親の援助はなかったので妊娠期から昼夜問わず内職し、早朝の品出し、夜の清掃等のパートで生計をなんとか維持。

一人で出産し、何もない生活だったが我が子の成長する姿があるだけで有難く幸せと感じていた。

育つ我が子をみているうちに、たとえ何もない母子家庭でも子供のやりたいことを叶えられる親になると、心に強く想うようになっていた。1歳になった子どもを預けながら仕事ができるところを探した末に、託児所のある病院でクラークとして勤務できたことがきっかけで医療と出会う。

働く中で、ある看護師さんから「社会人からでも看護師になれるよ」という情報を聞き、勉強は得意ではなかったが、働きながら行ける定時制の看護専門学校を無謀にも受験したところ、有難く入学できた。

看護学校の勉強と、仕事と、1歳半の幼児の子育てと、家事をこなす生活開始。
准看護師資格取得後に正看護師をめざし、平均睡眠時間2時間程の毎日を5年間。心身共にギリギリの中でも、何故か医学の知識と技術はどんどん頭に入り、医師会から表彰され、看護学校を主席で卒業した。

看護師として総合病院へ勤務。現代医療の実態への疑問や無力感を感じながらも、患者様の回復を図るにはどうしたらよいか、日々知識や技術を高めることへの探求を続けていた。

40代

その想いの中、残存機能と生命の持てる人間の回復力を引き出すリハビリ医療に魅力を感じ、学びを深めたいと回復期リハビリテーション病院に転職。回復期リハビリテーション認定看護師の資格を取得し勤務。

数年勤務した中で役職に任命され激務に追われる生活を送る。勤務先で倒れることもあったが、それも仕方ないと考えるようになっていた。

働ける場所があり大きな不安はなくなったものの、『仕事と子育てが終わったら終活しよう…』と思うぐらい自分の人生に楽しみを見いだせる氣力はなく、日々の生活を送るだけで精一杯であった。

50代

物質的には不自由なく生活できることに感謝する日々であったが、人間関係やしがらみ等ストレスが渦巻いていた。その頃コロナで医療への不信感がぬぐえない現状に。「本当にこれが医療なのか?…」という想いがが溢れだす。

また、以前から感じていた『看護師は病院に入院してから出会うもの…』で、入院に至るような心身になってからでは、本来の回復はなかなか困難なことが多く病院看護の無力感と、『未病』(=発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態)の段階でよりよい健康へのアプローチができるようにしたいと考えるようになっていた。

多忙ではあったが、人間にとって氣(エネルギー)の重要性には蕁麻疹の治癒から身をもって知っていたことから、一念発起してレイキヒーリングを習得したことで、人間本来の健康と在り方を見い出し、自分の使命に光が差した。

また自分の持っている看護や介護の知識、薬剤の危険性を一般の方へお伝えしつつ、エネルギー療法の施術を提供し始める。

人間本来の能力を開花させ、自己治癒力の回帰で自らで元氣になる方法を広めたい気持ちに。

2023年より、在宅からの健康を提供できる訪問看護へ転身。

現在

現在は訪問看護師の仕事を継続しつつ、
2023年『ヒーリングサロン myself support 』を起業し、色々な想いをお持ちで悩むクライアント様が『おひとりおひとりが自分自身を癒し支援できる』との願いを込めた名前を付けサロン経営を開始。

有り難いことに口コミだけでお客様が増えて続けていった。

ソースオブライト・オープンディヴァインのプラクティショナー認定を取得。

現在、レイキヒーラー養成講座とエネルギーヒーリングをさせていただく毎日を送ることができ、自己実現の道を歩かせていただくことへの感謝と、今までの苦難と思われた過去の経験があっての現在であることに全ては必然であることを体現させていただいています。

これからも私自身が生涯精進し続け、自分の持てる能力で皆さまのお力となれましたら心より幸いです。

                                                                     …☆ tomoko ☆…